2023年6月28日水曜日

アメリカ旅行2001

昔の話なんてし始めたら終わりだと思ってるのですが

もう終わってるのでしましょう


2001年大学生1回生だった私

初めての海外旅行に行ってみることにし3月のロサンゼルス国際空港に降りたった

空港のロータリーは日本では見慣れないダッジの車が走りまわり

風は嗅いだことのないまさにカリフォルニアといった香りがした

バスに乗り込み地図を見ながら、だいたいこの辺だろうというところで降ろしてもらう



降りたところはダウンタウンのど真ん中のようで

大きなビルが建ち並び、通りにはいかにもアメリカといった商店が並んでいた

歩いていると派手なオープンカーに乗った黒人男性が

通りがかりのブロンドの女性に声をかけたが無視されたので爆音で走り去っていった

昼食に露店でサンドイッチのような食べ物を購入するも

具材はローストビーフと生のにんじんであまり美味しいものではなかった

今晩の宿を探し近くのオーキッドというホテルへ行ってみる

値段相応の古びたホテルだが部屋は空いていたのでここに泊まることにした

部屋に入ると薄暗い部屋の真ん中を大きなゴキブリが横切っていった

荷物を片付け明日以降の予定を考える

ガイドブックには色々と定番のスポットが載っていたが

せっかくクライミングを始めたのだから聖地と呼ばれるヨセミテ国立公園に行ってみよう

と思い至り翌日以降の予定が決まった



2日目の朝は早めにホテルを出た

ヨセミテへは一日ではたどり着かないのでまずは麓のマーセドという街を目指す

マーセドへはアムトラックという列車での旅となるので

まずは始発駅のユニオンステーションへ向かう

窓口でチケットを購入する

マーセドの発音が難しくなかなか伝わらなかった

キオスクでベーグルとコーヒーを買ってベンチに座って食べた

時間が来たので乗り場へ向かうとそこはバスの発着場だった

どうやらマーセドへは直接列車で行くのではなく、

ベイカーズフィールドというところまでバスで移動して

そこで列車に乗り換えということらしい

シルバーメタリックなストライプが入ったアメリカらしいバスに揺られ

2時間ほどでベイカーズフィールドに到着した

明るい駅舎でしばらく待っていると

堂々とした威容のアムトラックの列車がゆっくりとホームに入ってきた


ここから数時間は快適な列車の旅となる

広々とした車内で残りのベーグルと甘いパンを囓りながら車窓を流れる景色を楽しむ

午後3時くらいにマーセド駅に到着


翌朝にこの駅からヨセミテ行きのバスに乗ることとなる

今晩はこの街に泊まらなければならないので公衆電話でタクシーを呼び

運転手さんに近くて安いホテルへ連れてってくれとお願いすると

幹線道路沿いのモーテルに連れていってもらえた


夕食は道向かいにマクドナルドがあったのでそこで済ますことにした

部屋に持ち帰って食べようとビッグマックを1つ頼んだら

ビッグマックのセットが3つ出てきた


3日目の朝は、パサパサになったビッグマックとポテトを

炭酸の抜けたコーラで流し込みマーセド駅へ向かう


駅に着いてバスのチケットを購入して、しばらくするとヨセミテ行きの

バスが来たので乗り込む

バスは東へ進みだんだんとカーブが増え平野から山地に入っていく



途中の山肌一面を覆う黄色い花が印象的だった

順調にバスは進み二時間くらいでヨセミテ渓谷に到着

とりあえずカリービレッジというところに3泊することにした

布張りの小屋というテントとコテージの中間といっためずらしいタイプの宿泊施設で

不規則に動き出す暖房と時差ぼけでなかなか寝つくことができなかった



ヨセミテには結局6日ほど滞在した

園内は無料の巡回バスが走っており独りでも色んな名所を巡ることができた

昼間はハイキングをしたり、観光客で賑わう滝を見に行ったり

園内のスーパーや土産物店でお土産を買ったりして過ごし

レストランでピザを食べてコインシャワーを浴びて寝る日々を過ごした


クライミングもやった

何もギアを持ってきてなかったのでマウンテンショップでモカシムとチョークを購入し

キャンプ4付近に行ってみるも

当時はまだクライミング歴4ヶ月程度のビギナーなので何も分からない

ミッドナイトライトニングなんて聞いたこともないし

ボルダリングの概念すらまだなかった気がする

その辺に転がっているチョークのついたスラブを

適当にマット無しで登ってみた

色々と試行錯誤して必死で登ったがおそらくV0とかV1とかだったんだろう

ただ楽しさは今と変わらないと思う




毎日、散歩したりクライミングしたりする日々も次第に飽きてきて

とりあえずロサンゼルスまで帰ることにした

マーセドで前回と同じモーテルにチェックインし

翌日来た時の道を歩いて駅まで戻り再びアムトラックとバスでロスを目指す

ベイカーズフィールドでバスに乗り換えて

窓の外を流れる荒野を眺めていたら

飛行機に乗ると起こるあの頭痛が発生ししばらく苦しんだが治まった

まだ明るい時間にロサンゼルスに到着し



近くのリトルトーキョーまで歩きダイマルホテルという安宿にチェックイン

受付が言うには先週までホテルの裏でブラピが映画の撮影をしていたらしく

ロサンゼルスっぽいなと思った

狭い部屋はベッドとワードローブがあるきりで古い建物の独特な臭いがした

誰かが置いていった少年マガジンが棚の中にあった

表紙は酒井若菜だった


翌日から帰国までの間この臭い宿を拠点にロサンゼルス観光した

滞在していたホテルは日本人の旅行者が多く

すぐ仲良くなって毎日色々なことをして遊んだ

みんな旅行というよりもアテもなくアメリカをふらふらしているような連中で

狭いロビーでドリトスを食べながらだらだらお話したり

中華料理を食べに行ったり買い物に行ったり

ダイハードの撮影場所を見に行ったり



サンタモニカのビーチに出掛けたり銃を撃ちに行ったりして過ごした

毎日どこからかホテルに来て色々案内してくれた

日本語のつたない自称日本人が印象的だった


ロサンゼルスで数日遊びついに帰る日が来た

最後の朝はモノレールみたいな乗り物に乗って空港に向かう



車窓からロサンゼルスの町並みを眺める


帰りの飛行機も問題なくチェックインし無事帰国することができた


今振り返ると10代の自分には全てが新鮮でとてつもなく刺激的な旅だった

これまで行ったどの海外ツアーより印象に残っているし人生の基礎となったように思う

いつかまたこういう旅をしたいと思う

中央アジア行きたい





2 件のコメント:

  1. すげ〜分かります。
    40過ぎて最近よく思います。
    また旅してーなっと。
    自分も若い頃(クライミング始める前に)はよくバックパック背負って旅しましたわ〜。
    ほんと旅の経験は人生の礎になってます。

    あの頃はスマホなかったなー(笑)地球の歩き方頼りだったなーっと。出版社潰れてしまったようで。これも時代の流れですかねー

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    1. いや~共感してもらえてよかったです。一抹の不安と孤独と限りない自由に浸る日々。
      今同じような旅をしても同じ感動はないんでしょうね~

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